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                              つぐとの昔話13

             フィナーレの恋


 私は学校事務の今田司として、光害の無い星空がきれいな田舎の勤務を希望したのですが、
事務職員給料とは別に、へき地手当てが支給される事も魅力の内でした。

赴任先では小学校勤務が終わると、学校隣にある一軒家の宿舎でクラシック音楽と星空散歩で
過ごす日課です。ガリ勉で真面目すぎた私は世慣れた遊びを知らずバカ正直と言われ、職場の
同僚からは評価されども親しみを持たれる事がないのです。
そんな存在感のない私にキュウリ男とかオンガメとか有り難くないあだ名が付き、こんな風貌
ですから女性からの視線は全くありません。

 夏休みの前日に突然、同僚教師からコンサートに行けなくなったのでこの切符を買わないか
と頼まれて、私は一つ返事で2枚を引き受け「じゃあ代金2枚分を一万円」をと、差し出すと
「いやあ、悪いから1枚はサービスするからさ5千円で良い」とうれしがる同僚に「それじゃ
気の毒、丁度良い機会だから彼女と行くよ」と快く大枚一万円を支払った。
驚く同僚は、あいつ彼女が居たのかと不思議そうに教師達と語るのです。

 勿論私には彼女なんて居りませんが、気に留める女性である養護教諭の響子さんを架空の彼
女に仕立てました。でも私は彼女に積極的に近づくことは性格上
苦手なのです。同僚の彼女に
断られたらどうしようと恐れるのです。

 夏休みになり生徒が居ない学校では職員だけとなり、勤務当番外はそれぞれ休暇を取り、
旅行や実家へと帰ります。私は2枚のコンサート切符を手に町の親元に帰省しました。

 今度の日曜日はコンサート。胸をドキドキ迷った末、一枚のコンサート切符を片手に虫歯検
診の口実で学校医の歯科医院を訪れて、美人受付嬢に「あまったからどうぞ」。
コンサート切符をさりげなく渡すと、いぶかる彼女に「行けない時は捨てて下さい」と赤面。
彼女は仕方なく切符を預かるのでした。

 ネクタイを結びスーツ姿に正装した私は足取り重くコンサート会場に出かけて、予約の指定
席に深ぶかと座りました。
隣の指定席は開演間際なのに空席のままです。やはり受付嬢が来る訳ないか。
それでも私の横に空いた指定席の空間は安全地帯であり、私を落ち着かせるのであります。

 絢爛豪華に飾られた舞台は別世界のように輝いており。私はこの賑やかさに妙に同調して気
分が良くなり、胸が弾みます。いよいよコンサートの開演です。
夢心地の曲目は私の体に共振して流れ、胸中無我に和ませて視野狭窄に。隣に誰かが座ったの
も知らず。会場の空気に酔ってきます。
そしてプログラムは最終曲目となりました。

 最終の舞台に登場した歌姫の若くて美しく魅力的な容姿に私の心は囚われて。
憧れの妻に描く理想の面影がちらつく彼女に高貴な魅力を感じながら、急いでプログラムを見
ると、若き新スターの歌姫であることが記されています。

 彼女は新人のオペラ歌手で、そのアルト歌姫の歌唱と美声は評価が高く賞賛されて、その魅
惑的な妖艶さには男も女もしびれ、魂を抜かれるそうです。
魂を抜き取られるなんて私にはそんな派手な感情は無いぞ。

 しかし、歌姫の美しき魅惑に紳士を気取った私の男心が目覚め起こそうと迷う自分を抑えが
たく、少しずつ、少しずつ胸がトキメキ、やがて私の全身は桃源郷の海を泳いでいます。

 空は夕焼けのように仄赤く、追い風に押され漂いながら。夢のような空間に現実と行ったり
来たり歌の華やかさに浮かれた私は歌曲シンドロームとなり、遂に私は歌劇の成りすまし人格
に変身したのです。

「ああ私はロマンチストなのか、詩人なのか、それとも今は別人なのか」。
あーっ歌姫よ、どうにかしてくれこの私を「私はあなたに感電しました」。

 ギラギラした眼で歌姫に見とれていた私は真面目青年の気品を外して、男を曝け出した本性
のままドンファンのような振舞いで歌姫にまなざしを向けるのです。
そして歌姫は歌います。


 歌の旋律に合わせて流れ振り向いた歌姫の微笑に心地良い視線を感じた私は歌姫に微笑みを
送ります。ぎこちなく好青年を装う私。歌姫は歌う。

「今♪ あなたは何処にいるの〜 ♪この私を置いて何をしているの〜」
「暗闇でも見つけるわ〜 あなたを♪」そして、私は歌姫に合わして心で歌います。
「君と過ごすステキな夜座サロンを♪」「さあ〜ついておいでこの手に」
舞台から七色の逆光に浮かび上がる歌姫に、私は鼻筋をきりっと立て瞳を大きく、まつ毛をそ
びえ立ち、私の太い眉毛は勇者のように。ヒヒーンと嘶き、およそキュウリ男とは別人になる
のです。

 歌姫は会場のお客さんに曲の情熱を歌います。
歌い振り向いた歌姫に私は「 アイ ラブ ユー 」と、無言の発音を送ると、私に気付いた歌
姫は少し視線を固定したようです。


 オーケストラの静寂なメロディーとは異に胸の鼓動はクレッシェンド。
ドッドッドッと響きます。

 そして再び歌姫が私に顔を合わす情景が来た時に私は勇気を出して、大きなジェスチャーで
あなたがすきです 」と口を読み歌います。

 私は逸る気持ちで歌姫の返事を待ちます。答えてくれ歌姫よ。

 歌姫の姿が逆光に浮かび、彼女は歌いながらゆっくりと私に視線を合わした。
歌に合わせて私は「ここだよ と口を読み歌います。すると迷い踊った歌姫と私の空間は電
信のごとく直流で繋がったのです。

 彼女は私に視線を固定したまま歌い続けます。そして歌姫はしなやかな両手を花のように広
げると、歌で問いかけてきました。


「 いとしのあなたは何処にいるの 」と。そして私は「さあ手をおとり下さい やっと逢え
たね」「
私はあの星から降りてきました 」「あなたの歌声に誘われて」と口を読み歌います。

 ああ夢のような胸の高鳴りに焦がれる私は恋に燃え上がり、歌姫に強くそしてゆっくりと
I Love  You 」。と続けます。

 ふと我に返った歌姫は突然私から視線を外し大きく姿勢を振り払いツンと上向き、私を無視
するように会場の客席にくまなく微笑み歌います。あぁ〜

 私はグラリと不安な胸騒ぎがして息が震えるのを感じます。ああ振られたんだ。

 歌曲はクライマックス。オーケストラはいよいよ終盤の完結に向かい高々とホルンとバイオ
リンが奏でます。強くフォルテフォルテと絶頂へ向います。
ジャン、ジャジャーン♪、一瞬の休止符、そして入れ替わる歌姫の歌。

 歌姫は声高らかに両手を広げ絶叫のような響きで天を見つめ歌った次の瞬間、
突然、勢いよく私を振り向くとその美声を稲妻のように高く、強く、ついに
I Love  You [私の愛するあなたはここね まだ毒を食べていない清きお方ね]と、歌で私
に突き刺さります。私は射ぬかれた心を開け「
さあ おいで 愛するひとよ 」と。
舞台の歌姫と観客席の私は恋心を交わし語り燃え上がり。

 そして二人の世界が生まれ、歌姫と私は見つめ合ったまま時が止まります。
もはや歌姫は観客を忘れ、私は心を奪われ、歌姫との甘い生活を巡り浮かばせ私と歌姫はコン
サート会場を出て、何処かの世界を探し求めて旅立ちました。

 ああ何という幸せか、気付くとここは私の宿舎、歌姫が裸電球の淡い逆光に映えて、彼女の
肢体は幾重にも重なり浮かび、私に両手を差し伸べてくるのです。


 私は合わせた手を固く握り彼女の腰を静かに引き寄せて胸にもたれた髪の香りにうずくまり
「愛しています」。
二人の口元は甘く香り交わる小さな空間を確かめながら埋めて行き、やがて静かに合わせ重ね
るのです。

「いとしの君よ いつまでもここに居て」と、星の見える窓辺の夜座サロンで。
あの歌曲のように。私は心身直結で彼女との恋に燃えるのです。

 日は巡り、月も巡り星と供に降り注ぐ夜な夜なを重ねて、白雪に舞い凍る日々も初春のごと
く溶け去り再びの夏。


「もう帰らないと 私が枯れない内に」歌姫は時を恐れて私に別れを告げるのです。
愛する歌姫の話せぬ都合もあるだろう。覚悟していた私は彼女の両手を包むと
「君が去るのは悲しいけれど、せめて元気で居て欲しい。
君はこの地球で大切な人だから」と話し、彼女に感謝して優しくいたわるのでした。

 蒸し暑さに息苦しくかぶさるセミの声でぼんやりとめざめ仰ぐ窓辺には、南中の太陽がギー
ンと私の目を叩く。「わっ」衝撃の眩しさに突然消えた歌姫。

 おお太鼓がドーンと大音響、シンバルがジャーン♪。
コンサートがフィナーレとなったその時「アーッ君は何処だ、君は何処だ」
そしてコンサートの曲は一刻遅れて最後の指揮棒が降ろされたのです。

一瞬に破壊された夢の恋、歌姫と私は冷凍人間のように固まり、冷却され私は失神したのです
「もしもし、もしもし大丈夫ですか」誰もいないコンサート会場に私だけが取り残され警備員
に頬を叩かれ夢から覚めたのです。

 全てが夢だったのか。私は無意識に隣の指定席を見ると、そこにはコンサート切符の半切れが
置いてありました。不思議なことがあるもんだ。
切符だけがコンサート鑑賞に来ることがあるのか?

 コンサートで火照った気持ちのまま私はへき地の宿舎に帰りました。
そして玄関に入ると、そこには女性の靴が。
ビクッリした私は急いで部屋に入ると、何と、そこには養護教諭の響子さんが居るではないで
すか。この世の歌姫が。

 彼女は訪れた歯科医院の受付嬢からコンサート切符をもらったそうです。そして遅れてコン
サート会場に行き静かにその指定席に座ったのです。

 歌姫に夢中な私の横顔を見ると七色の色彩に浮かぶその顔は鼻筋がキリッツと立ち、長いま
つ毛と凛々しい口元に、キュウリ男とは似ても似つかぬ精悍な男の魅力を発見。
彼女はコンサート会場の魅惑的雰囲気に乗り私に心を奪われてしまったのです。
私は迷わず彼女の手を取り引き寄せると、
彼女は恥ずかしそうに「うっふん、ばっか〜ん、いや〜ん」と照れるのでした。


 愛は人間にとり神聖な理想的進化に欠かせない絶対的な精神行動であり、
男と女が表現する最大の愛情物語。こうして残りの夏休みは心身直結で過ごしました。
そして。周る星空には乙女座が横たわり、巡り来るサソリ座のアンタレスが赤く怪しく照らし
やがて双子座が一段と輝く冬の夜座サロンでは、三人で星空を見上げるのでした。

思えば、コンサート会場の観客みんなが私と同じように歌姫の魅力に酔いしびれたのかもしれ
ません。それほどに彼女の歌はすばらしく観客は感動を覚え、私の人生は羽ばたくのでした。
 おわり。

作 海江田嗣人2011年77




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